2000年以降は中国との経済関係が活発化し経済がやや好転。しかし2006年の核実験に伴う経済制裁のため、経済状況が再び悪化していると言われている。国民生活は依然として厳しい。
| 名目GNI | 208億ドル |
| 一人当たりのGNI | 914ドル |
| 経済成長率 | 2.2% |
| 輸出額 | 10.2億ドル |
| 輸入額 | 18.4億ドル |
2007年11月27-29日、キム・イルチョル人民武力相と韓国のキム・ジャンス国防相による南北国防相会談が平壌で開かれ、「南北軍事共同委員会」の設置など7項目の合意文を発表し閉幕した。
2007年11月14-16日、金英逸首相は、韓国の韓悳洙首相とソウルで会談した。16日午前、全体会議で、半年に1度の南北首相会談開催、黄海の「平和協力特別地帯」推進機構の設置、ムンサン(韓国)−ポンドン(北朝鮮)間の鉄道貨物輸送再開などを盛り込んだ合意文書を採択した。
2007年10月27日、金英逸首相は、東南アジア歴訪のため最初の訪問国ベトナムに訪問した。同首相は、ベトナムのグエン・タン・ズン首相やノン・ドク・マイン共産党書記長らと首都ハノイで会談した。
2007年10月22日、シリアを訪問した北朝鮮最高人民会議の崔泰福議長は、ダマスカスでアサド大統領と会談した。
2007年10月17日、金正日総書記は、北朝鮮を訪問したノン・ドク・マイン共産党書記長と平壌で会談した。両者は、人的交流や経済、文化、科学技術など各分野の協力拡大で合意した。
2007年10月3日-4日、金正日総書記と韓国の盧武鉉大統領は、平壌の百花園迎賓館で南北首脳会談を開いた。
10月2日午前、韓国との軍事境界線を徒歩で越え北朝鮮入りした盧武鉉大統領を、金書記長が歓迎式典会場の4.25文化会館で出迎えた。
3日午前9時半ごろと、午後2時45分から、2回に亘り首脳会談が行われ、翌4日両首脳は、朝鮮戦争終結への推進など8項目を盛り込んだ「南北関係の発展と平和繁栄のための宣言」に署名した。
2007年9月1日、朴義春(パク・ウィチュン)外相は、イラン訪問のため平壌を出発した。テヘランで開かれる「人権と文化多様性に関する非同盟閣僚会議」に出席する。
2007年12月11日、北朝鮮と韓国を結ぶ京義線の貨物列車が定期運行を開始した。南北軍事境界線をまたぐ定期列車は、朝鮮戦争で中断してから1951年以来56年ぶり。開通したのは北朝鮮のパンムン駅と韓国のムンサン駅を結ぶ約16.5キロで、10月の南北首脳会談で合意したもの。
2007年8月25日、北朝鮮の朝鮮中央通信は、8月7日からの集中豪雨について、死者と行方不明者が計600人以上となり、数千人が負傷したと報じた。
2007年11月5日、米国務省のケーシー副報道官は、北朝鮮の寧辺にある核施設を無能力化する作業が始まったことを明かした。
2007年9月27日、北朝鮮の核開発問題を巡る6カ国協議が、北京の釣魚台迎賓館で再開した。2007年3月以来。
12月31日までに寧辺にある3つの核施設の無能力化を実施するなどを盛り込んだ共同文書を発表して、10月3日に閉幕した。
2007年9月12日、米国、中国、ロシアの3国の核専門家が寧辺にある5000kWの実験用黒鉛減速炉を視察した。
東アジアの朝鮮半島北部を領有する社会主義国家。金日成に続き、実子・金正日により独裁が続く。金日成死後、国家元首にあたる国家主席を廃止したが、金正日は朝鮮労働党総書記、朝鮮人民軍最高司令官、(「国家最高の職責」である)共和国国防委員長を兼任し、最高権力者の地位にある。
韓国とは1953年に休戦したまま、南北分断状態。日本は北朝鮮を国家として承認しておらず、その後「拉致問題」により国交正常化が暗礁に乗り上げている。
2006年10月9日に北朝鮮は核実験を実施。国際社会から非難を浴びる。北朝鮮、ならびに米国、韓国、日本、中国、ロシアによる6ヵ国協議(日本政府は「六者会合」と表現)で北朝鮮の核の拡散防止、核の廃棄等が話し合われている。
| 最高権力者 | 金正日(キム・ジョンイル)朝鮮労働党総書記 |
| 政体 | 人民共和国制 |
| 議会 | 最高人民会議 [金永南(キム・ヨンナム)常任委員会委員長] |
| 首相(内閣総理) | 金英逸(キム・ヨンイル) |
| 政党 | 朝鮮労働党、朝鮮社会民主党、天道教青友党 |
| 正式名称 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
| 英語表記 | Democratic People's Republic of Korea |
| 首都 | 平壌 |
| 面積 | 12万余平方キロメートル |
| 人口 | 約2,250万人(2003年) |
| 民族 | 朝鮮民族 |
| 公用語 | 朝鮮語 |
| 宗教 | |
| 通貨 | 北朝鮮ウォン(KPW) |